自分の人生の大きな節目と言うだけでなく、作品の名前を冠したサイトを立ち上げた直後に、こうしたニュースに触れるのはやはり奇妙な暗合を感じてしまう。
「ベルイマン監督が死去 スウェーデン映画界の巨匠」
「20世紀を代表する巨匠、ベルイマン監督逝く」
「スウェーデンの巨匠 映画監督イングマール・ベルイマン死去」
「20世紀映画の巨匠、I・ベルイマン氏が死去」
享年89歳。
自分にとってはベルイマンはやはり精神的な意味での父親のような存在だったのだと思う。
僕の肉体は産んだけれども、世間に恥ばかりかかせてついに生きる事への誇りをはぐくませてくれなかった父親のもとで育った人間には、彼の芸術にかける決然たる態度はまさしく自分にとっての父親像そのものであり、それゆえに彼のすべての映画は、僕の美の基準となった。ただし、やはり僕には僕の道があるので、映画は志さなかったが。
普通ならそれほどの存在になれば、その喪失には悲しみがつきまとうものだが、しかし不思議と気持ちは沈まない。むしろ自分のまわりにどこか軽やかな風が吹き込んできているのを感じる。なぜなら僕は、誰か有名人と出会うために仕事をしたり夢を追いかけているわけではないのだから。
彼は少なくとも自分にとっては、「ファニーとアレクサンデル」の終盤でアレクサンデルを突き飛ばした司教の亡霊のようにはならないだろう。それは不思議と確信できることだ。彼の作品のあちこちにそこはかとなく込められたユーモアがそれを促してくれる。
そういえば今日は満月か。
これからDVDの「サラバンド」をビールを飲みながら観て、ゆっくり眠るとしよう。
ベルイマンの冥福を祈りながら。


























